2010年8月22日日曜日
どうしても腑に落ちないことは箇条書きにすると・・・・・・。
先日、知人と話していた時、どうしてもその話が腑に落ちないことがあった。しかし、その話を遮って私の考えはこうだ、あなたの言っていることは違うよとは言わなかった。そういうところは私が小市民たる所以だ。言えないのだ。言った後のことを考えると、自分の立場がどう変わるのか、その知人との関係はどうなるのかと・・・・・・・。若いころはずけずけと自分の意見は話した。それで、さよならした人もいた。またかばってくれる人もいたが、一人になった今は自分のことは自分で守らないと誰もこの年の婆さんのことは気にかけてはくれないのだ。自分を強くもち、一人で生きていく術(すべ)を手に入れないとこれからの人生が寂しくてたまらないものになると思うのだ。この話の引き合いに出すのは少々気になるのだけれど、お隣の部屋の高齢の奥様が一人暮らしになられたときに「さみしい」という言葉をかなり頻繁に言っておられた。自分が没頭とまではいかなくても、楽しんで打ち込めるものを持つことは必要なことだとその時に痛切に感じたのだ。その方は、私とは違って、高齢になるまで、ご夫婦で生活されていた。ご主人が亡くなられて一人暮らしになってからは急に何もする気力がなくなったように見受けられたのだ。一人暮らしになると、自分の考えだけで、行動がおこせる。が、それが正しいかどうかわからなくなる時もでてくる。その時は私なら、ブログに書く(日記を書いていた時と同じなのだ)それも、箇条書きにしてみると、自分の今がよく見えてくるのだ。昔の人がよく話してた言葉「時間はたっぷりとあるのだから、今からでも、新しいことを始めるのに遅いということはないんだよ」・・・・・・・・・・。
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